読心少女


秋、紅葉が風と西日を浴びてキラキラまぶしかった。
高校二年の俺。
下校中に一本道の真ん中で、犬が目の前に飛び出してきた。
「人懐こいなぁ。」
茶色い中型犬はわしゃわしゃと俺に頭をなでられた。
わんって、小さく吠えて俺は学ランの袖を引っ張られた。


ついていくとすぐそばの大きな家の門を犬はくぐった。
「さすがに人んちの敷地には、入れねぇだろ…」
でも、茶色の犬は戻ってきて裾を引っ張る。

「・・・お邪魔します・・・。」
慌てる犬は走っては、催促しに戻ってくるから、俺も走ってついていった。
目の前に大きなリンゴの木。
そのリンゴの木にはしごがかかっていた。

見上げると…
「ネコ…じゃなくて、人?!」
木の上には黒髪の女の子がいた。
「助けにいけばいいの?」
茶色い犬を見ると理解したのかわからないが、わんと吠えた。
かかっているはしごを適当な角度に向けて登った。
「おい…」
両手を伸ばしても、彼女は首を横に振って震えていた。
より腕を伸ばすと奥に下がろうとする。
だが、木の枝の上、下がれる後もなくてひっくり返った。

「マジかよ、」
とっさにはしごを蹴って、跳んだ。
「…っ」
リンゴを一つ抱えるようにして、泣いていた、


俺の上で。

「あー、怖かったんだな。よしよし、とりあえず降りろ。」
無意識に手が彼女の頭をなでた。
びっくりして彼女は立ち上がった。
「あ…りがとう、ございました…。」
「おう、気をつけろな。」
じゃあ、と、行こうとした時
「りんご、食べますか?」

「お、おう。」

 

 

***

 

 

先ほど、彼女が必死で取っていたリンゴを縁側で俺はいただいている。
少女の日焼けをしてない白い肌は真っ黒でまっすぐな髪の毛に映える。
着ている服も楓がちりばめられたオレンジの和服。
「鶴間 咲愛(つるま さくら)です。先ほどは、すみませんでした。」
「いえ、気にしないでいいよ…?」
つられて丁寧な口調になってしまう…。
「りんご、おいしいですね。」
「ありがとうございます。」
幸せそうに笑う子だなぁ。
「あと、すみません、外見で判断して…怖い人だと思って動けなくなりました。」

…あ、いや、まぁ、金髪に染めてて口悪けりゃ外見で判断されると思いますよ?
てか、なんで俺は一言も喋ってないのに…

「……人に触れると、その人の心が読めようになるんです…。」
悲しそうな目をして少女がぼそりと呟く。
「学校行かないのも、人と関わって、言ってることと思ってることが違って…すごく…怖かったから。あ、勉強なら家でもできるから良いのよって言われて…。」
小さく笑った。
…そんな、初対面の俺にしゃべっていいの…?急に心開いてくるね。
「すごく、暖かかったんです、いい人なんだってわかると安心しちゃって…ずっと、こんな風にはなせる人を見つけられなかったからかな…」

…本人がいいなら良いけどさ。

 

***

 

 外に出ない彼女は、楽しそうに何気ない話でも聞いた。
「あの、またお時間がありましたら、話をしにきてくださいね。」
リンゴ一つ手土産に帰った。
あれから毎日のように俺は咲愛の家に行くようになった。


「今日は、いつも以上に悲しそうな顔をしてます。」
…読んでほしい心があるんだ。

 

延命治療でじいちゃんの命をつないでるけど、ほんとはどうなんだろう…?

 

その日、咲愛と一緒に病院にいった。
咲愛はじいちゃんの手を取った。

「いろんな気持ちが、ぐちゃぐちゃしてる…」

そして、目を閉じて告げ始めた。

『すごく…複雑なんだ。
 たくさんのチューブでつながれてて、
 話をすることも、好きなことも出来なくて、
 何を見ているのか自分でもよくわからない。
 でも、孫の声が毎日聞こえることが、
 とてもうれしくて、
 何もしてやれないのに、
 心配してくれる人が居て、
 この治療もお金がかかるのに、生かしてもらってる…
 すごく、毎日が不安で、苦しいけど、
 毎日、暖かさをもらっている。
 心配をかけてすまない。
 俺はぁ、すごく幸せ者だ。
 ありがとう。
 何も悔いはねぇ、あるとしたら、
 こんなに毎日来てくれるのに、
 話をしてくれるのに、
 心配してくれるのに、
 返事すら出来ねぇ。
 情けねぇな。
 お前には、お前の人生がまだこれからある。
 生があれば、老いがある。
 明日からの俺の人生費、お前の生活費にしろ。
 立ち止まって、悔やんで、振り返っても良い。
 ただ、後ろに下がってくるな。
 停滞してもいつかは、前を向け。
 時間は止まらねぇんだ。
 そして、「俺の人生に悔いはねぇ」
 って、言い切ってみろ。
 それでこそ、俺の孫だ。』


じいちゃんが、そこで話してくれた気がした。

…俺は、泣いてるのだろうか、
なんで泣いてるんだ…?

 


「あなたも、心がぐちゃぐちゃしてる。」

…そうかもしれない、
心の支えが一つなくなってしまう悲しさと、
苦しめてた悔しさと、
毎日来てる俺に気づいてくれてたうれしさが、
全部混ざってるのだろう。



じいちゃんの気持ちを伝えてくれてありがとう。
ほんとに、その、咲愛はその能力で苦しんでたかもしれないけど、
その力で、俺とじいちゃんは気持ちが通じ合えたんだ。
そんなに、その力を持って悲しまないで。
ほんとに、ありがとう。
悲しみは消えないけど、心は軽くなった。
じいちゃんみたいに、俺も後悔しないように生きるよ。

泣きそうになったら、話を聞いてね、咲愛。 

 

 

 

***

 

 

数日後、

俺は病院に行った。
いつかくる最期を看取るために。


家族も親戚も集まって、たくさんの人が心配してくれてた。
やっぱり、じいちゃんの声を聞くことは出来なかった。
でも、話しかけようとした俺を、時々こっちを見ようとしてくれる。


点滴の管、

動けないから口の中にたまる痰ををのぞくための管、

命をつなげるたくさんの管。

針を刺したり管を入れると、

あんなに昔は元気で感情的な人で、

よく怒鳴られたりもしたけど、

じっと苦しそうな顔を向けるだけだった。
きっと、怒鳴りたくても怒鳴れないんだ、動けないんだ。

もう、延命治療は今日で終わり。
点滴の注射をしすぎて、血管がつぶれて、もう注射針を刺せるところがないらしい。

栄養を取る方法もなくなって、日に日に痩せていくんだな。
何をするにも一生懸命で、よく食べて運動するじいちゃんだったな。
生きることを幸せに思ってたんだろうな。


肺炎、肝硬変、胃がん、大腸がん、認知症

どんなに重症を抱えてても、なにも変わらず笑ってたんだ。
なにが、こんなにじいちゃんを生かしてんだろ…
何が幸せなんだ…?
認知症でなんで病院に居るのかもわからないだろうに。
一緒にばあちゃんの飯を食いたかった、
じいちゃんの好きな野球観戦して、ゴルフもやりに行きたかった。
いろんな思い出…ってほどのことは、何もしてやれなかった気がする。
なんで、もっと話をしておかなかったんだろう…
なんで、もっと出かけに行かなかったんだろう…
なんで…

ほんとに、幸せなじいちゃんだな、こんなときにも、笑いかけようとしてるよ。
俺も笑ってこれから生きてけるかな…


昔は病名がツラツラ何枚にも並んでいたカルテ。
今の電子カルテは、一枚にまとめられるぐらい症状がない。
最後の一枚の文章には、「有難う」の文字。
小さくて、相変わらず、汚い字だから読むのにちょっと苦労したけど、
一生懸命、力を振り絞って書いたんだな。

目頭が熱い…

お疲れ様、
もうすぐ楽になるよ
ほんとありがとう、
もう、じいちゃんに「奇跡」なんていらない。
十分に一生懸命生きてきたんだ。
ゆっくり、休んでね。



病室を誰よりも先に俺は出た。
ほんとは、少しでも長く入れたらよかったのだろうけど、
管を全部とったじいちゃんは、
すごく小さく見えて、でも、幸せそうに見えて、
痛々しい…
耐えられなかった。

「おかえりなさい。」
廊下で待っていた咲愛をぎゅっと抱きしめた。
「うん、」
それだけ言って、咲愛も涙を流していた。

俺は、俺の幸せを抱きしめています。