ヒロシマ体験記

「当時、中学校は五年間だったんだよ。」

 学校は男女別で教科書も違った。また、中学校は義務でないため少なく、都会にしかなかった。
 先生に勧められて中学校を受験したのだが、いいというべきか悪いというべきか見事に受かった。
 私は田舎のほうに住んでいたので学校はとても遠かった。父さんは知り合いに頼んで私を都市部の広島に住んでいる知り合いの家へ置いていただいた。
 部屋一つと食事、とてもよい環境をくださった。

 中学一年生。一学期は普通の学校生活だった。
 しかし、二学期。戦争が大きくなった。授業どころではなく、農家の手伝い、飛行場の作成になった。
 中学二年生になった初め、沖縄がアメリカに占領された。次は本土が戦場になるのだろう。
 授業では訓練、銃・手榴弾の扱い方、射撃、攻め方。ワラ人形に向かって突撃もした。
 そんな学校には武器の類が校庭に並んでいた。
それから私たちは武器作り工場へ。
「お前らは中学生ではない、軍人だ。この大日本帝国の為、天皇の為に働け。」
  
 私の夢は立派な軍人になることだった。戦争に勝つことのみ。
『平和』なんて言葉を知らなかった。

八月六日。
 私は工場のほうに出勤した。その一時間後。
空は青白く明るかった。夏の雲が三つほど泳いでいた。
ふと一瞬うちに、東から西へオレンジの光が横切った。
さっきまでふわふわとしていた雲はその一瞬のうちにかき消されてしまった。
「あれ?」
 ドンッ
 腹に響くような大きな音がした。
 とっさにその場に這いつくばり、目と耳をふさいだ。
 学校で習ったことで、瞬時に来る爆弾の衝撃から守る為の行動だった。
 何度か続く、物が割れる音。
 音が止むと急に静かになった、不安なほどに。
二階の窓ガラスが割れている。不思議なことに一階の窓は割れていなかった。
 みんなのもとへ行くとワイワイお喋りをしていた。
「事故じゃないのか。」
「いやいや爆弾だよ。」
 少しすると、工場長が出てきた。
「仕事をしなくてはいけないが、機械が壊れている。点検、片付けの為、休憩だ。」
 みんなで喜んだ。
 気分は学生に戻り、外ではしゃぎまわっていた。
 遊んで、遊んで。疲れたら昼寝をして。
 でも、どれだけ遊んでも、時間がたっても、工場長に呼ばれなかった。
 一時ごろ道を歩く人がいた。
 集団で何処かに向かう様子だった。
「何処に向かっているんだろう。」
 不思議に思ってみんなで見ていた。
 集団が通り過ぎると、またはしゃぐように遊んでいた。
 三時ごろ。また集団が歩いてきた。同じ方向、西から東へ歩いていた。
 先ほど通り過ぎた人より怪我をしている人が多かった。
 またもや、みんなで見ていた。
 通り過ぎると、また、飽きずと遊び惚けていた。
五時ごろ。
「人が歩いているぞ。」
「人なら、さっきもたくさん見たじゃん。」
「いやいや、それが、様子がおかしいんだよ。」
 慌て振りにしぶしぶ見に行った。
 それはほんとに、奇妙なものだった。
 色は茶色く、腕も動かず、前かがみに歩いていた。服を着ていないと思えば、よく見ると、皮膚と一体化していた。
 目を奪われるように彼らを見送った。彼らもまた同じ方角からやってきた。
 これを見て、一大事だと気付いた。
 彼らが来た方角に目を向ける。目を向けた先、広島の空には黒い雲。黒い雨が降っていた。
 大変だと気付いたところで何もできない。広島で何があったのか。分からないまま、みんなで見つめていた。
 二十分ほどして、ようやく工場長に呼ばれた。
「三人、このトラックに乗れ。」
 呼ばれたうちの一人は私だった。
 荷台には三度目に見たような人が座ったり転がっていたりした。
「さっさとおろせ。」
 指示をされて一人を二人で持った。
 私は足首を、相手は腕を回して抱える。持ち上げようとすると、つかまれている人は腰をついたまま。見ると、手には茶色いものがこびりついていた。
「何をしている。早くしろ。」
 下から声がする。
「どうした。早くしろと言っているだろう。」
 でも…。
ふと、相手を見ると同じく茶色いものがこびりついている。しかし彼は腕を回して抱える為、手だけでなく、腕、服にもべったりついていた。
 気を取り直して、するするとすべる『人』を何とかしておろしていた。

「次、上に行け。」
 さっきまで運び降ろしていた人が運び込まれている先の建物へ向かった。
 そこで私は見張りをしていた。
 暇に思い壁に腰を掛けていた。
 目を閉じると何か聞こえる。
 でも、何処から聞こえるのか分からない。
 『虫の息』とはこれのことか。辺りを見回す。
 よく見ると、部屋で横たわる人の口がわずかに動いている。
「何?」
 何を言っているのかよく分からないので耳を口元に近づける。
「水…。」
 隣の人も口が動いている。
「水…。」
 その隣も、そのまた隣も。結果全員の話を聞いたところ、みんな口をそろえて、水を求めていた。
 私は壊れた水道から水を汲んできて少しずつあげる。でも口もあまり開かず、一人目は顔が水浸しになってしまった。汲んできた桶の水もなくなり、こんなことを繰り返していては体力もすぐなくなってしまう。一人、二回ずつと決め、何度も回って水をあげ続けた。
 気付くと一人、顔が真っ黒に。よく見ると蝿だった。
「人が死んだ。誰か、誰か来てくれ。」
 何度も医者を呼ぶが振り向くだけで来てくれはしなかった。
 しょうがなく、戻って水をあげることと蝿、蛆虫を追い払うことを繰り返し続けた。
 呼ばれたときには六日目。はじめの三分の二が亡くなっていた。
「ごめんなさい。」
私はその部屋をあとにした。

「これから休みにする。家に一度帰りなさい。これからのことはまた連絡をする。」
 そう言われて家に向かった。
 壊滅状態で町がなくなっていた。
 町がなくなり、ここが何処だかわからない。まれに残っている大きな建物、線路を頼りに家に向かった。
 こんなに町が跡形なく、なくなるまで、どれだけの爆弾を落としていったんだ?
 途中で軍人に会った。
「何処に行くんだい?この先何もないぞ。」
「家に帰るところです。」
「何を言っているんだ。見てみろ、ここの何処に家があるというんだ?さあ、引き返せ。」
 家が…無い…?
 そうだ。無我夢中で歩いてきた。ここまでずっと建物と、家と呼べるものは無かった。自分の家が無い?
 言われて初めて気がついた。

 広島のこの出来事に対して、一度にたくさんのことがあり、感情は無かった。ただ目の前のことにひたすら動くだけだった。

 町は死体が豆をばら撒いたように転がっていた。人形ではないのかと思わせる。また、あれから何日か経っているのに熱い、焼け跡も燃えている。建物も無いので陰も無い。音は自分の呼吸と足音だけ。

「臭いは…あれから六十五年経っているが、なんと言うのだろう、たとえが見つからない。」

 その後は田舎の実家に帰った。田舎のほうでは何とか暮らすことができた。知り合いは家族に会う為に三日以上歩き続けていた。七割の父や母がいなかったらしい。

 


「広島でお世話になった義母さんと義父さんには六十五年経っているがあれから一度も挨拶をしていない。」